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故事族推理2021年10期 · 十津川警部 三河恋唄 (双葉文庫) 第7部分 · 第7篇 / 共11篇 · 64%
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十津川警部 三河恋唄 (双葉文庫) 第7部分

作者:西村京太郎 分类:故事族·推理
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「義周といえば、不行き届きのかどで、追放され、今年一月二十日に、亡くなったのではなかったのか?それなのに、どうして、仇討ちと申すのだ?」

「赤穂浪士は、切腹した、浅あさ野の内たく匠みの頭かみ様の仇討ちをして、世の賞賛を、得ております。内匠頭様も、私の主君、義周様と、同じように、不行き届きのかどによって、切腹させられました。それでも、浅野家の家臣は仇を討ち果たし、越前守様も、それを、賞賛なさったではありませぬか?だとすれば、私が、義周様の仇を討ちたい、そう思っても、何の不思議も、ございますまい」

新八は、そういって、じっと、越前守のことを見た。

越前守の、不快そうな表情が、急に、不審げな表情になって、

「しかし、考えてもみよ。義周は、お咎めを受けて、追放の上、病死した。たとえ、お主が、その家臣だとしても、いったい誰を、仇だとするのか?それがわからぬ」

「もちろん、吉良家の断絶を決めた幕府のご政道に対してでございます」

「ご政道だと?何を馬鹿げたことを、いっておる」

越前守が、明らかに、怒りの表情を、見せていった。

途端に、新八は、身体を起こして、そばにあった短刀を、抜き放った。

「主君、義周様の仇!ただ今、越前守様のお命、申し受けます!」

と、いいざま、新八は、斬りかかった。

越前守が狼狽して、身体を、転がすようにして、逃げる。

それを、追いかけていき、新八は、馬乗りになって、いきなり、胸を刺し貫いた。

血は、ほとんど、出なかった。

短刀を、刺したまま、新八は、大刀を手に取って、障子を開け、船頭に向かって、大声で、いった。

「今、保田越前守を、討ち果たしたぞ!」

新八が、いうと、船頭は、その場に、ヘナヘナと座り込んでしまった。

「お主の命までは、取ろうとは思わぬ。向こうの岸まで、つけてくれ」

新八は、いった。

それでも、船頭は、なかなか、立ち上がろうとしない。

新八は、急に声を荒げて、

「さっさと、向こう岸まで、漕いでいけ!さもないと、お前も、斬ってしまうぞ!」

と、叱りつけた。

その言葉で、船頭は、飛び跳ねるようにして、立ち上がると、震えながら、棹さおを手に取った。

船は、流れに逆らうようにして、対岸に進んでいく。

対岸の暗闇には、小林源次郎と、小堀清左衛門が、待っていた。

船が着く。

源次郎が、顔を、突き出すようにして、

「首尾は?」

と、きく。

新八は、うなずいて、

「越前守様、討ち果たしました」

と、いった。

源次郎と清左衛門が、乗り込んできて、越前守の死体を、船から陸に運び揚げた。

新八は、船頭に向かって、

「もういってよい。ただし、明日までは、このことは黙っておれ。さもないと、お前を斬って捨てる」

と、脅すように、いった。

新八は、血ぬられた短刀で、保田越前守の首を、切り落とした。それをすぐ、小堀清左衛門が、用意してきた布に、包んだ。

「これからすぐ、私は三河に向かう」

清左衛門は、興奮した口調で、二人に向かって、いった。〉

十津川は、朝原に会って、原稿を読んだことを、告げた。

「清水新八が、北町奉行の、保田越前守を船遊びの途中で、斬り殺し、その首を持った、小堀清左衛門が、主君、吉良義周の墓がある、三河に向かって出発するところまで、読みました。なかなか、面白かったですよ」

十津川が、いった。

「そうでしょう?面白いでしょう?」

「これから、小説は、どうなって、いくんですか?」

「次々に吉良家を滅ぼした人々、赤穂浪士に、力を貸した人々を、討ち果たしていくことに、なっています。最後に、柳沢吉保を討って、すべてが、終わりです。当時、幕府の実権を、握っていたのは、柳沢吉保でしたからね」

朝原は、いった。

「最後に、柳沢吉保ですか?」

「そうなんです。それが、クライマックスというわけです。浅野内匠頭が、松の廊下で、刃傷に及んだ時も、すでに、吉保は、幕政を動かすだけの力を、持っていた。その時、浅野内匠頭を切腹させ、吉良上野介のほうはお咎めなしという、裁決をしたのも、柳沢吉保です。ところが、赤穂浪士が、吉良上野介を討ち果たした時に、世論が、赤穂浪士に、あまりに、同情的だったので、柳沢吉保は、あわてて、保身のため、今度は、吉良側に、冷たい仕打ちを、したんです。つまり、前に、浅野家に冷たくしたから、今度は、吉良家に冷たくして、それで、平衡を計ったんですね。そのため、前には、浅野家が断絶して、家臣たちが、路頭に迷った。今度は、吉良家が、断絶させられて、家臣たちが、路頭に迷った。どちらにしても、決めたのは、柳沢吉保です。小説の中で、吉良の家臣たちが、最後に柳沢吉保を、討ち果たすという気持ちは、よくわかるんですよ。人々は拍手かっさいする。それが書いてあるので、この小説は、面白いんです」

「しかし、本を出すには、作者の吉良さんに会う必要がありますね。そういっていらっしゃった。なかなか、作者の吉良さんの、承諾がもらえないので、本が出せないで、困っている。朝原さんは、そういって、おられたけど、これから、どうするおつもりですか?」

十津川が、きくと、朝原は、

「実は、いいことを、思いついたんですよ」

「吉良さんの承諾なしに、本を出してしまう。そういうことですか?」

「いや、勝手に、本は出しません。実は、この作品を劇場で、芝居にかけたいという劇団が、出てきましてね。もちろん『逆さ忠臣蔵』ですから、東京の真ん中とか、赤穂では、できませんから、吉良町の劇場で、やることになりました。この芝居が上演されれば、いやでも、吉良さんが出てくるだろう。そして、とにかく、原作者の吉良さんに、芝居を見てもらう。満足してもらえれば、本も、出せますからね。現在、その劇団と、話し合いが、続いています。その劇団で、脚本を書いている人に、この原作を、コピーして、渡してあるんで、すぐに、脚本もできるんじゃありませんか?」

朝原は、嬉しそうに、いった。

十津川は、その劇場に、いって、芝居をやるという、劇団員に、会ってみたくなった。何か知っているかも、知れない、そう思ったからである。

劇場は、三河出版から、歩いて十五、六分のところに、あった。

劇場の名前は、常盤劇場。古い、芝居小屋で、ここでは昔から、絶対に、忠臣蔵は、やらなかったという劇場である。

そこで、今度『逆さ忠臣蔵』を、やろうという劇団の、リーダーに会った。

劇団の名前は、三河座。ほとんど、常盤劇場を中心にして、芝居をやり、東京などの都会にはいっていないという。

劇団のリーダーの名前は、前田真一といった。まだ、三十代だろう。劇団員の数は、少なくて、二十五人だという。

十津川と亀井は、前田から話を、きくことにした。

「いい原作を、三河出版の、朝原社長からもらいましてね。ぜひ、これを、芝居にしたいと思って、一気に、脚本を、書き上げたところなんですよ」

前田は、興奮した口調で、十津川たちに、いった。

「原作を、読み終わっての感想は、どんなものでしたか?」

「今もいったように、とにかく、面白い。それに、赤穂浪士を、主人公にした、忠臣蔵があるのならば、その相手の、吉良の家臣を主人公にした『逆さ忠臣蔵』があってもいい。前からずっと、僕は、そう思って、いたんですよ。僕も、この三河の生まれですからね。他よ所そで忠臣蔵が上演されるたびに、どうして、こんな、不公平な話が、喝采されるのかと、思って、切歯扼腕して、いましたからね。やっと、満足できる本に、巡り合ったんです。これだけは、死んでも、やり遂げるぞと、そう思いましたね」

前田が、いっきに、いった。

「ストーリーには、満足でしたか?確か、赤穂浪士に同情的な町奉行や、老中を、討ち果たして、最後に、柳沢吉保を討つ。そういう、ストーリーですが、そのことは、どう思いましたか?」

「今も、いったように、ずっと、忠臣蔵の逆を考えて、いたんですよ。吉良家の家臣が、浪人になって仇を討つ。そういうストーリーの本を探していました。問題は、その仇を誰にするかなんですよね。赤穂浪士の場合は、仇の吉良上野介が、生きている。だから、その仇を、討てばいいんですが、吉良家の家臣の方は、浅野家は、なくなっていますからね。誰を仇にしたらいいのかが、わからなくて、僕自身、悩んでいたんですよ。そうしたら、この『逆さ忠臣蔵』では、赤穂浪士を、賞賛して、吉良家を断絶させてしまった、当時の老中、小笠原長重や町奉行の、保田越前守、そして、老中首席の阿部豊後守など、そうした、当時の政治の、中枢にいた人たちを、仇として狙う。そうして、最後には、あの、柳沢吉保を討ち果たす。ああ、確かに、仇討ちとしては、最高だと、思いましたね。どうして、それに、気がつかなかったのか。そう思いましたよ。特に、柳沢吉保は、世間的にも有名だし、仇としては、絶好の大物ですからね。クライマックスに、それを持ってくれば、絶対に、芝居は、面白くなるはずだ。僕は、そう思いました」

前田は、興奮した口調で、十津川たちに向かって、いった。

「脚本が、出来上がったといわれましたが、上演は、いつごろの、予定なんですか?」

亀井が、きいた。

「そうですね。稽古には、最低でも、二週間は必要だから、おそらく、二週間後の、上演になると、思っています。宣伝ポスターは、三河出版さんが、協力してくださるというので、たくさん作りたいと、思っているんですよ」

「原作者の吉良義久さんには、お会いになったことがあるんですか?」

十津川が、きいた。

「いえ、まだです。ですから、ぜひ、お会いしたいんですよ。会って、話しもしたいし、芝居も、見ていただきたいと思って、朝原さんに、頼んでいるのですが、なかなか見つからないそうで」

「その吉良さんですが、現在、記憶喪失に、なってしまっていることは、ご存じですか?」

「朝原さんから、聞きましたが、実際に、まだ、吉良さんと、会っていないので、何ともいえません。それに、こんな、面白い小説を書く人が、記憶喪失とは、ちょっと、考えられませんね。本当に、記憶喪失なんですか?」

前田が、半信半疑の顔で、きいた。

「たぶん、そうだと、思います」

「たぶんというのは、どういうことですか?刑事さんは、吉良さんに、会ったんでしょう?」

「ええ、会って、話しもしていますよ。しかし、記憶喪失が、狂言なのか、本当なのか、まだ、判断が、つかないでいるんです。どう見ても、本当に、思えますけどね。もし、あれが、狂言だったら、すごいもんだ。そう思いますね。それに、狂言だとしたら、どうして、そんなことをするのか理由が、わからない。それで、困っているんです」

十津川は、正直に、いった。

「朝原さんから、吉良さんが、東京で、撃たれたと聞いたのですが、それも、本当の話なんですか?」

「ええ、それは、事実です。撃たれましたが、大した怪我は、しなかった。なぜ、吉良さんが、撃たれたのか、われわれは今、その捜査を、しているわけです。それが、わかれば、すべてが、わかってくるような気がするんですがね」

「今、吉良さんは、この三河に、きていると聞いたのですが、それも、本当ですか?もし、そうなら、ぜひ、お会いしたいと、思っているのですが」

前田が、いう。

「確かに、吉良さんは、三河に、きました。西浦町の、ホテルに、泊まった後、湯谷温泉の旅館に、泊まっていたんですよ。そこまでは、われわれも、追いかけたんですが、急に、姿を消してしまいましてね。私たちも、探していますが、三河出版の、朝原社長も探しているはずですよ」

「何か、吉良さんの身に、危険が及んでいるんですか?」

「今のところ、それも、はっきりしません。東京で、吉良さんが、狙撃されたのは、事実なんです。それで、私たちは、事件の捜査に、入ったんですが、しかし、その後、命を、狙われたことは、ありません。それを考えると、吉良さんの、記憶喪失は、ひょっとすると、狂言ではないか。そんなふうにも、思ったりしているんです」

十津川が、劇団のリーダーである、前田を見ていて、別に怪しいところは、見つからなかった。

原作者の吉良に会いたいというのも、本当だろう、そう思った。

前田と別れた後で、亀井が、十津川に、向かって、

「あの劇団が『逆さ忠臣蔵』を、上演すれば、私も、原作者の吉良が、芝居を見にくるとは、思いますが、しかし、今から、二週間後ですからね。それまで、どうやって、吉良を、探しますか?」

「探す方法は、二つあると、思っている。一つは、藤崎美香だよ。彼女が、吉良と一年前の夏、会っていて、今も、彼女のほうが、吉良のことを好きだというのは、間違いないと思う。吉良のほうは、記憶喪失が、本当なら、彼女のことを、忘れてしまっているだろうが、しかし、彼女と会っているうちに、記憶を、取り戻すことも考えられる。そうなると、藤崎美香を、見張っていれば、吉良が、現れるのではないか?そういう可能性も、充分にあるんだ」

「もう一つは、どういう方法ですか?」

「弁護士の、三木のり子に会って、話をきく方法だ」

「彼女は確か、吉良が、ある裁判の被告になっていた。そんな話を、していましたね。どこかの会社を、倒産させてしまった責任を問う、そういう、裁判だそうですが」

「その話、本当かどうか、わからないから、直接、三木のり子に会って、きいてみたいんだよ」

と、十津川が、いった。

「じゃあ、東京に戻って、三木のり子という弁護士を探して、彼女と、会おうじゃ、ありませんか?」

亀井が、いった。

十津川と亀井は、急遽、東京に戻った。三木のり子という弁護士は、東京弁護士会に、所属していたからである。

二人は、東京の、四谷にある、法律事務所に、三木のり子を、訪ねていった。

のり子は、十津川たちの顔を見ると、笑って、

「やっぱり、いらっしゃいましたわね」

と、いった。

「どうしても、あなたに、吉良義久のことをききたくて、吉良町から、戻ってきたんですよ。あなたは、いつだったか、私たちに、吉良は、ある裁判の、被告人だった。その裁判は、彼が、使い込みか何かをして、ある会社を、倒産させてしまった。そういう裁判だとお聞きしたのですが、それは、本当ですか?」

十津川が、単刀直入に、きいた。

「もちろん、本当ですよ」

のり子が、いう。

「その裁判で、吉良は、どうしたんですか?有罪の判決を、受けたんですか?」

「もちろん、有罪でしたよ。ところが、その責任を、取ろうともせずに、彼は、姿を、くらましてしまったんです。それで、私たちは、一生懸命に、彼を探しているんですが、なかなか、捕まえられなくて」

のり子は、眉をひそめて、いった。

「その事件ですが、あなた自身が、その裁判に、関係していたんですか、それとも、この法律事務所として、関係していたんでしょうか?」

「私が、その裁判で、倒産した会社側の、弁護人でした」

のり子が、いった。

「しかし、おかしいですね」

十津川が、首をかしげて見せた。

「何がおかしいんですか?」

「実は、東京に戻って、すぐには、ここにこなかったんですよ。あなたが、最近、関係した事件、あるいは、関係した裁判を全部調べたんです。あなたと、この、法律事務所が、関係した裁判ですよ。今年、去年、そして、二年前と、全部、調べました。しかし、あなたが、関係した裁判の中で、被告人が、吉良義久というのは、一件も、ありませんでしたよ。いったい、どういうことですかね?」

十津川が、いった。

「本当に、調べたんですか?」

「ええ、もちろん、ここ三年間の、あなたと、この法律事務所が、関係した裁判全部です」

「じゃあ、吉良さんの名前がないのも、当然ですよ。私が扱った、その裁判というのは、四年前ですから」

のり子が、いった。

その言葉に、十津川は、ニヤッと笑って、

「実は、あなたが、そういうと思って、五年前から、全部調べたんですよ。それでも、被告人の中に、吉良義久の名前は、ありませんでしたよ」

三木のり子の顔が、赤くなった。

「きっと、見逃したんですよ。四年前の、裁判なんですから、間違いありません。私が会社側を、弁護して、倒産した、吉良さんが、被告人だったんですから」

三木のり子は、そう、いい張る。

「四年前というのは、どう考えても、納得いきませんね」

「どうしてですか?」

「われわれが、調べた結果、吉良義久さんが、記憶を失ったのは、去年の、夏なんですよ。つまり、その時に、何かの、裁判に巻き込まれた。そう考えざるを、得ないんですよ。だから、あなたがいうような、裁判で、吉良義久さんが、被告人だったのならば、それは、四年前ではなくて、去年の夏の話で、なければ、おかしいんですよ」

「去年の夏じゃありませんよ。四年前なんです。これは、間違いないんですよ。私が、刑事さんに、嘘をいったって、仕方がないでしょう?」

「われわれは、間違いなく、去年の夏、吉良義久さんに、何かがあったと考えています。だから、あなたには、正直に、話してもらいたいんですよ。もし、あなたがいうような、裁判があったのなら、それは、去年の夏でなければおかしい。しかし、去年の夏、あなたと、この法律事務所が、扱った裁判の中に、吉良義久の名前は、なかった。となると、あなたは、われわれに対して、デタラメを、いっているのか、それとも、まったく別の裁判があったということに、なってくるんですけどね。その点は、どうなんですか?」

「ほかの裁判って、どんなことです?まさか、あの、吉良義久さんが、刑事裁判で、有罪判決を受けたなんて、いうんじゃないでしょうね?」

「それは、ありません。いくら調べても、彼には、前科がない。つまり、刑事事件で、有罪判決を受けたことはないんです」

「それなら、いいじゃありませんか?吉良さんは、刑事事件で、有罪判決も受けていないし、民事裁判とも、関係していない。それならそれで、結構なことじゃ、ありません?」

三木のり子が、開き直ったかのように、十津川に、いった。

「困りましたね。裁判のことを、最初にいったのは、あなたのほうなんですよ。あなたが、吉良という男は、どこかの、会社を潰して、それで、裁判になっている。そういったのは、あなたのほうですからね。もし、何でもないんなら、どうして、あんな嘘を、つかれたんですか?」

「さあ、どうしてでしょう。忘れましたわ。私が関係した裁判で、吉良さんの名前が、載っていなければ、それはそれで、いいじゃありませんか?いくらでも勝手に、解釈してくださっても、結構ですよ」

のり子は、そっけなく、いった。

十津川と亀井は、四谷の、法律事務所を出た。

パトカーに戻ると、亀井が、笑いながら、

「あの弁護士さん、ちょっと、怒って、最後には、開き直りましたね」

「それにしても、どうして、開き直ったのかな?」

「われわれが、ここにくる前に、調べて、あの女弁護士さんの、関係した裁判の中に、吉良義久の名前が、見当たらなかった。それをいったから、開き直って、しまったんじゃありませんか?」

「確かに、そうなんだが、それにしても、どうもわからん。あの弁護士さんは、本物の弁護士だ。そして、吉良義久が、去年の夏、突然、記憶喪失に、かかってしまったというのも、本当だ。それなのに、どうして、吉良が、どこかの会社を潰して、裁判にかけられた被告人だというようなことを、いったのだろうか?」

「いくら調べても、吉良義久の、名前の載った裁判に、あの女弁護士さんは、関係していないんです。ですから、彼女のいったことは、嘘ということに、なってきます」

「だから、そこが、引っかかるんだ。なぜ、そんな、嘘をいったんだろうか?それが、わからない」

十津川が、首を傾げた。

亀井は、パトカーを、発進させてから、

「あの女弁護士さんは、吉良義久の、記憶喪失のことを、知っていますね。そのうえ、どうして、吉良が、記憶喪失になったのか、その原因も知っているような気が、しますが、警部は、どう、思われますか?」

「そうだな。カメさんのいうことも、もっともなような、気がするよ。あの弁護士が、われわれに、嘘をつく必要は、なかった。しかし、嘘をついた。それを考えると、今カメさんがいったように、あの弁護士は、何かを、知っているんだ。記憶喪失のことかも知れないし、ほかのことかも、知れない」

「いくら考えても、ちゃんとした、弁護士が、われわれ刑事に、すぐバレるような、嘘を、どうして、ついたのか?そこが、わかりませんね」

亀井は、考え込んでしまう。

「彼女は、弁護士だ」

「ええ、そうです。弁護士なんです」

「そうなら、当然、裁判に、結びつく」

「そうですが、しかし、今も、いったように、いくら調べても、吉良義久の、名前のある裁判に、あの弁護士は、関係していないんですよ」

「だが、関係して、いなければ、嘘は、いわないだろう。とすれば、あの弁護士さんは、裁判に、関係しているんだ。そして、その裁判で、吉良義久は、被告人に、なっていた」

十津川は、ゆっくりと、自分にいい聞かせるように、いった。

「しかしですね。その裁判は」

亀井が、首をふる。

それを、遮るようにして、十津川は、

「私は今、こんなことを、考えたんだ。正式な裁判じゃない、そんな、裁判があるんじゃないだろうか?その裁判で、吉良義久は、被告人だった。そして、その裁判で、あの、三木のり子が弁護を引き受けた」

「よくわからないんですが、正式ではない裁判とは、いったい、どんな、裁判なんですか?」

「秘密裁判だよ」

十津川が、短く、いった。

「秘密裁判って、どんな、裁判を警部は、考えて、おられるんですか?」

「いいか、カメさん。私はね、吉良義久が、どうして、記憶喪失になってしまったのか、それを、考えているんだ。それは、何か、大きな、恐怖からじゃないのか、私は、そう考えている」

「しかし、警部は、東京で、狙撃されたこととは、考えて、いないんでしょう?」

「去年の夏、吉良は、湯谷温泉で、あの小説を、書いていた。そこで、藤崎美香に会った。二人が、愛し合ったのは、間違いない。ところが、その途中で、突然、吉良は、記憶喪失に、なってしまった。だから、その時、何か大きな、恐怖に、襲われたんじゃないか、そう考えるんだよ。その恐怖が、裁判と結びついて、いるんじゃないか?しかし、普通の裁判なら、弁護士がつくし、ちゃんとした、裁判官もいる。そんな裁判で、記憶喪失に陥るような、大変な恐怖を、感じるとは、どうしても思えない。だから、私は、秘密裁判じゃないか、そう考えて、いるんだ」

「正規の法廷ではない、闇の裁判、みたいなものですか?」

「そうだ。誰かが、その、闇の裁判を開き、その裁判で、吉良義久は、被告人席に、座らされた。どうしても彼は、弁護士を、頼みたいといい、三木のり子が、その弁護士になった。しかし、正式の裁判じゃないから、たとえば、裁判官が、彼に向かって、有罪判決を、いい渡し、死刑を宣告したとする。刑務所なんかには、送られず、秘密のうちに、殺されてしまう。そんな、死刑判決だよ。当然、吉良義久は、大きな恐怖に、襲われた。あるいは、その秘密裁判で、彼が死刑になる寸前まで、追いつめられたのかも、知れない。それで、記憶喪失に、なってしまった。そうなると、死刑を、宣告した裁判官も、彼を殺す、必要が、なくなってしまって、解放した。そういうことを、考えたんだが、少しばかり、飛躍しすぎているかな」

十津川は、そんなことを、いった。

「今、湯谷温泉で、小説を書いている吉良義久のことを、考えているんですが、確か、一カ月の予定で、小説を書き上げたら、ある日突然、旅館から、どこかに、いってしまった。そういうことでしたね?」

「その時に何かがあって、吉良は、記憶喪失に、なってしまった。だから、今年、藤崎美香に会っても、彼女のことを、覚えていなかった」

「つまり、去年、彼が、湯谷温泉から、どこかにいってしまった。小説を書き上げてから、いなくなった。その後、警部のいわれる、秘密裁判に連れていかれて、あるいは、自分から、いって、そこで、大きな恐怖を感じて、記憶を失ってしまった。警部が、考えているのは、そういうことになりますか?」

亀井が、復唱するように、いった。

「そんな、ストーリーを、考えているんだがね。しかし、これには、何の証拠もない」

「それにもう一つ、そうした、秘密裁判に、現職の、弁護士が、出てくるものでしょうか?」

「その時は、三木のり子、個人として出たと思うんだ。あの法律事務所の一員として、いったのじゃない」

「しかし、彼女を、いくら責めても、警部のいわれる、秘密裁判のことは、何も、話さないと思いますよ。それに、秘密裁判といっても、彼女が、知らないといえば、それ以上は、きけませんよ。架空の話みたいなものですから」

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